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キャンパスライフ

教員のエッセイ

「ストラスブールからの来客」

 先月の終わりの1週間、昨年10か月の間お世話になったフランスの友人が院生らを連れて日本にやってきた。日仏間で開始した共同研究の一環としてセミナーと実験を実施するためにやってきたのだった。台風もあり、梅雨入りしたばかりの雨の多い時期に重なったが、この酷暑の7月から思うとまだまだいい天候だったということになるだろう。学生の一人はアルザスの隣、ロレーヌ地方にあるという小さな村の出身者で、そこの人口は500人だったとか。生物学を専攻するかわいい女学生である。初対面だと思っていたのだけど、ベルギーのルーバン大学で一度会っていたことに後になって気が付いた(彼女から指摘された。一生の不覚である)。もう一人の院生はアルプスに近いグルノーブル出身、口の回りに髭をたくわえた、ストラスブールではもっとも世話になった男子学生である。日本食が恋しくなった時に、無理を言って一緒に鍋をつついてもらったこともある心から信頼できる間柄である。


富士山
写真1    東京都庁から見た富士山方面:「うーん、かわいい街だね」とか?

 残念ながら、神戸に来てもらうことは出来なかったが、時間を見つけて東京とその近郊を一緒に訪ねることはできた。そのほとんどは私も初めて訪れる所だった。築地市場は観光客が中に入ることが許されていて、大きなマグロがブロックに切り分けられる様子も間近に見ることができた。面白い形の台車が縫うように走り廻っている。何よりもその活気が楽しかったか。場内の食堂街で朝から寿司をもらったのだけど、本当に美味しかった。困ったことに女学生は既に続いていた魚にはかなりまいっていたのだけど、友人ら男性陣は「毎日3食が寿司でも大丈夫だ」と豪語していた。浅草の浅草寺界隈を散歩し、新宿に。駅や電車内でフランス人に最も不思議な印象を与えていたのは中高生の制服のようだった。東京都庁の展望台からは、かすかにではあったが富士山を眺めることもできた(写真にはよくは映らなかったが)。ここからの眺めは非常に気に入ってもらえたが、この巨大な建築物の意味を理解してもらうのは少々難しかった(どのくらいの電気代を払っているのだろうか?)。上野の博物館も日本の歴史を紹介したり、私自身が思い出したりするいい契機だったし、彼等にとってはもっとも良い「お土産」売り場にもなった。帰国の前日には鎌倉に行くことも叶った。大仏さんも訪ねてみたが、宗教が当然に絡むので、こちらの意味を理解してもらうことは難しくなかった。鎌倉もストラスブールの中心街と同様にユネスコの世界遺産にも指定されようとしていると聞くが、確かに散歩が楽しい街だった(人の多さには驚かされるが、これは関西の田舎者の偏見かも知れない)。フランスからの一行は皆、太平洋を見るのは初めてだった(「由比ガ浜」というのだったか?)。鶴岡八幡宮では、どういうわけか、いろいろな人から次々と写真撮影を依頼された(人相には自信が無いのだけど、同じ経験はストラスブールでもよくあった)。赤ちゃんのお宮参りに来られていたご一家の写真も撮らせていただいた。その子が、安全に、平和に、健やかに大きくなること、そのような社会でありつづけることを祈りつつシャッターを押したのだった。こういうことを素直に考えている自分に気が付いた。神社に参る価値とはこういうことだろうか。自分に祈りがあるとすれば、相手にも別の、あるいは同じ祈りがあるということは、どのような権力者にも理解されるべきだろう。


大仏1 大仏2
写真2   鎌倉の大仏(高徳院)
写真3   大仏さんの背中;まさかこうなっているとは思っていなかった。

 映画のタイトルがそうなってしまった理由だと思うが、日本では「7月14日」は「巴里祭」とよばれる。フランスでは”le 14 Juillet”だから、普通にそのまま「7月14日」と呼ばれている。このころにはフランス人の大半はバカンスをとっているので、テレビに映っているパリの沿道の人たちはほとんどが外国からの観光客なのかも知れない。昨年の記録を見ると、私もこの時期に1週間のバカンスをとっていたことを思い出した。南仏のニームに近い小さな村に友人が家を持っていて、そこで大切な1週間を過ごしたのだった。毎朝一番に起きて朝食用のパンを買いに行くのがこの「居候」に課せられた唯一の仕事だった。バゲットを思い思いの大きさにきってバターとジャムを塗りたくって食べるのだけど、どうやらクロワッサンの方が好まれていることにすぐ気が付いた(もちろんバゲットよりも高い)。私には理解の出来ないような特別の思いがクロワッサンには込められているのだろう。地域地域でその味はまるで異なるらしい。そして、クロワッサンにはカフェやカフェオレではだめで、ショコラでないといけないというのだった。友人の奥さんはカフェをどんぶりで飲んでいたが、友人はショコラだった(「どんぶり」と書いたが美的センスが疑われるような形のどんぶりで、日本のどんぶりが格好よく思えるほどの代物。図柄などもないのであるが、機能性は抜群)。このような趣向は結構多くの人から聞いた。


噴水
写真4   ニーム市内の噴水に戯れる黒い犬:私もやりたかったのだけど。

 別の機会に高速のパーキングエリアで朝食にホットドックを食べていると、友人たちはさんざん私をなじった。朝からそんなものを食べるのはとうてい受け入れられない、というのが彼等の趣旨であったが、同じ人物が、朝から寿司を食べるのを強要したのだから理屈で決着のつく問題ではない。もちろん彼等のその時の朝食は、クロワッサンとショコラであった。さて、そのニームでのバカンスの終わり頃には、「ショコラもいいかな」と私も思うようになっていた。そして、ストラスブールに戻ってからは、ある仕事を日々すすめながら、人の数が研究所から減って行くのを楽しんでいた。8月の中頃にはいつもなら数百人いた研究所内に居るのは、受付のおじさんと門衛さん、その門衛さんの警備犬、そして、日本人だけになってしまった。3人と一匹である。


ワニ
写真5   ニーム市内のワニの泉(マルシェ広場):ニームはローマ帝国の街で、ワニはそのシンボル。ジーンズで有名な「デニム」は、元はニーム産という意味だったとか。

 クロワッサンとショコラでなんとか夏が越えられるかなと思っていた。が、8月の後半になって、日本からの来客があり、パリに行くことになった。そこである糸が切れてしまった。和食のレストラン街に足を踏み入れてしまったのである。その瞬間に私の脳内である回路が繋がったのだろう。無性に和食が食べたくなってしまったのだ。しかし、一緒に行った相手が悪かった、日本からの短期間のお客様だったのだ。すがるようにして懇願する私の意見は、何の価値もないものとして、当然至極のように頭から完全に無視されてしまった。「何ばかなこと言ってんの」と。しかし、その翌日だったか、お昼頃にルーブルめぐりに少々疲れた娘と一緒に市街に出た。そして、そこに寿司屋を偶然発見してしまった。おそるおそる彼女を誘うと、「いいよ」という返事。ようやくにして、満足を得た(日本に戻ってから、娘は小学校で先生から「フランスで何か美味しいものたべたの?」と聞かれて、「お寿司が美味しかったよ!」と答えたらしい)。うまく説明することはできないが、この日以来何か気持ちに余裕が持てるようになったと感じていた。娘たちが日本に戻ってしまってから、機会のある度に和食も積極的にとるようにした。材料には苦労したが自分でつくる努力もした。そしてバカンスが開けた後には、友人たちとそれを楽しむこともできるようになった。親しい男子学生は巻寿司を自分でつくるまでに「成長」した(先月も日本からのお土産として、コシヒカリとショウガを買っていた)。


 さて、フランスの友人たちが来日していた先月のこと、宿泊していたところの近くのスーパーマーケットでその可愛らしい女学生と出会った。ショコラを探しているというので、一緒に探してあげた。コーヒー牛乳とかカフェオレの類いは品揃えも多いが、ショコラはなかなか見つからない。彼女は自分のものだけではなく、私の友人らのために朝食を買っていたということが後で分かった。彼等は独力でいいパン屋も見つけており、そこにはもちろんクロワッサンもあった。友人は「毎日3食が寿司でも大丈夫だ」と言いつつも、1週間の間、ほぼ毎日、クロワッサンとショコラをとり続けていたのである。


 昨年は冷夏だったというので期待をしていたのだけど、外はすこぶる暑い。そういう時期だからこそ、美味しいものをしっかり食べて体力をつけておきたい。ちなみに「鰻丼」はフランスの友人らにも大人気であった。



(T. Y., Fukaeminami-machi, Le 14 Juillet)