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キャンパスライフ

教員のエッセイ

「受験勉強の頃(完):断絶と継承?(その2)」

 前回の(下)で終わりにしようと思っていたのであるが、多少計画がずれてしまった。高校では思っていたよりも結構たくさんのことを学んでいたようである。


社会:小学校から中学まで、これが一番好きな科目だった。単に地図を見るのが好きだっただけなのであるが、駅名や山の高さを覚えている変わった子供だった。他に娯楽が無かった結果なのだろうか。しかし、後によく似た人と結構出会うことになったし、彼らが皆田舎の出身というわけでもなかった。

 しかし、高校に入ると地理にはさほど興味が無くなっていた(海外を旅行するようになってからは、再び再燃している)。高2で習った倫理社会が気に入り、受験科目にした。確か、無謀にもカントやヘーゲルの書いたものを岩波文庫で買ったのであるが、さすがに高校の時は買っただけで終わったように思う。担任は世界史と日本史とを勧めたのであるが、思想的なものと世界史との関係を考えながら勉強したい、と答えたように記憶している。随分と生意気な高校生である。この高校には社会科教室という部屋があって、社会の先生は職員室だけではなくて、ここにも机を持っていた。そして先生達が共同してつくった「世界史ノート」というものがあった。授業はこれを中心に進められた。それは文章のところどころがブランクになっていて、それを埋めてくることが予習にされていた。山川の教科書を読んだぐらいでは、全てに答えるのは無理だった。先生達が過去の入試問題を参考にしてつくったと聞いた。私は2冊を合本し、色々な参考書にあった記述を片っ端から書き加えていった。各章立ての最初に1000字くらいでその時代についての「まとめ」をつくるようなこともした。好き勝手に年表も付け足した。その分厚さは元の2倍くらいに膨らんだ。

 もちろん受験勉強というある限界をもった勉強であるために、田舎に帰ってもこの「世界史ノート」を見直すようなことは一度もなかった(何処かにはあるはずだけど)。中央公論社あたりの「世界史」の方が面白いに決まっている(個人的には、今は無き「ソビエト科学アカデミーの世界史」が気に入っているのであるが)。結果的に、雑学的なものに止まったが、やはり知ることの楽しみを教えてもらったように思っている。私にとっては、文字通り、社会を知るための「ノート」であったのかも知れない。

 日本史と政治経済とは定期試験の前日の課題になってしまった。しかし、どういう訳か、最近よく読む本の大半はこのジャンルのものである。日本史ではひどい点をとって教師にかなりきつく叱られた(19点以上ではあったが)。先生が点数ではなく、私の志の低さを咎めたことはよく分かり、非常に恥ずかしい思いをした。しかし、受験勉強の最中にあり、時間と健康とを考えると、残念ながら、それ以外のやり方はなかった(春から勉強を始めていたら可能であったかも)。高校3年間でもっとも恥ずかしい思い出である。


英語:私が受験したのは、センター試験の前身である「共通1次試験」の第2回目であった。高1の時には、その「共通1次試験」の具体的中身も明らかにはなっておらず、生徒よりも先生が大変なようすだった。マークシートというからには、いわゆる「ヒアリング(注:これは英語ではなくて日本語)」が出題されるだろうとの予測の下で、英語の授業ではこれの練習をよくやらされた。大学の施設によっては構内放送が使えないことが判明し「ヒアリング」は無くなった。これとともに授業からもそれは消えた(以下でも触れるように、これは非常に残念なことであったと思う)。

 英語の得点をよくすることは高3の夏からでは不可能であった。語学では毎日の積み重ねがものを言うとはその通りで、言語自体がそういうものである。高校の頃を思い出すと「総解英文法」と「英語構文」という参考書が思い出される。授業では使わなかったが、定期試験の範囲にはなるという約束で1年生の時に買ったものである。後者については原文をノートに書き写し訳するようなことを何度もやった。今から思うのだけれども、CDか何かに吹き込まれたものがあると勉強はまったく違ったものになっただろう(注:当時CDはまだ開発されていなかった)。日本語の基本は「文字」であると思うが、英語の基本は、フランス語やドイツ語と同じく、「音」だと思うからである。私の受検勉強はどちらかと言えば「写経」に近かったのである。中国語を「漢文」として日本語で読むのと同様に英語をあつかったのだ。この方法論は正しくない。もしも高校生の時期に戻るとすると(勘弁してほしい)、ネイテイヴの音声でその構文集にあったような典型的な英文を音として暗記すると思う。(一言だけ付け加えると、英語の勉強を英会話に解消することには反対する。それは考える力ではない。)前者の「総解英文法」については、ようやく最近になって、英文を文法から考えることが出来るようになったと感じている。理系に進んだのは賢明であった。さて、夏から始めた英語の勉強は、結果的には志望校の2次に英語がなかったために何かの得点につながるものではなかった。しかし、断片ではあるが、ニュートンの書き記したものを訳した時にはある格別の思いがこみ上げたことを覚えている。

 英語での会話については40歳を越えた今でも頭を抱えている。ネイテイヴの言葉を捕まえるのは今でも難しい。だた、ほんの最近になって、フランス人やドイツ人に独特の英語の言い回しには気がつくようになった。彼らも苦労しているのだと。

 読むことについては、大学の3年の時の応用電磁気学について、担当の先生に無理をいい、原本の青刷りをもらった(注:昔のコピーのこと)。英語の教科書を読んだのはこれが初めてであったが、その後、長い英文も苦にはならなくなり、教科書としてはもっぱら英語のものを買うようになった。ちなみにその応用電磁気学の点数は97点であった(高3の2学期末の物理と同じである。すなわち、私の大学での勉強は、高校でのそれからほとんど進歩のないままで繰り返されたのである(?))。

 書くことは国語にも関連する。目的がはっきりしないと一般的に書く能力を問題にするのは難しいのではないか?というのが私の今の考えであるが、高校の頃、文系に進んだ級友には平気で書いているような人も居たのも事実である。私だけがこう思っているのかも知れない。

 「試験に出る英単語」とかいうベストセラーは今ではどうなっているのだろうか?当時の私には、そこにある英単語はもとより、対応する日本語も理解できないような言葉がそこには詰まっていた。例えば、知性。私:「おい、知性って何?」、友人S:「お前にないもの」、私:「?」。当初、この「試単」については、軽蔑していた。「単語とは生きた文章の中でのみ価値がある」などと級友に言っていたのであるが、その彼から「試単」にあった単語を試験され、ほとんど答えられず、あえなく降参した。そして、「生きた文章は、豊富な語彙によって支えられる」とやられた。英語の勉強が国語の勉強にもなっていたような気がする。

 大学への受験勉強は、社会に出て役に立つのか?答としては、それとしては役に立たない、ということだろう。誤解のないようにもう少し付け加えると、大学で身につける学問は社会にでて役に立つのか?これも同様に、そのままでは役に立たない、となると思う。そんなことだから、「独立行政法人」にされてしまうのか、と言われそうであるが、大学でやっている学問ほど社会も自然も単純明快には出来ていないのだ、とでもここでは答えておきたい。


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 受験生のみなさん。私は1970年代最後、あるいは1980年代最初の受験生でした。それもあまり格好の良くない受験生でした。この短く拙い文章が皆さんの息抜きになれば幸いです。

 母校の新居浜西高校の先生方や同級生だった皆さんには長らく挨拶もしないままになっています。急な依頼だったこともあり記憶の不確かなことも書いていますが、近い将来に記憶の間違いを訂正してもらえると嬉しいです(但し、19点を下回っていたことは無いと思う、多分)。


 それでは、受験生のみなさん、頑張ってください。

おわり

イメージ図

(T. Y., Strasbourg, 9. Dec. 2003)