教員のエッセイ
「のみの市」
フランスにいる限りは、誰でもマルシェ・オ・ピュスを楽しみたいと思
うだろう(marché aux puces: “市”を意味するmarcheの最後のeについているのはアクサンテギュ)。日本語の「のみの市」は、おそらくフランス語のそれの直訳である。のみ(puce)は蚤。言うまでもなく、隠翅目に属する数ミリメートルサイズの昆虫の総称である。人々から愛される虫ではない。どうしてこんな名前なのかと、何度も周辺に尋ねたのであるが、どうしてもはっきりしない。もちろん、意味としては「古物市」である。
パリの有名なサクレ・クール聖堂のあるモンマルトルの丘からおよそ2km北に行った外周高速道路のガード近く、クリニャンクールという所がこの「のみの市」の発祥の地だと聞く。一度だけ、車窓からその光景を眺めたが、残念ながら出張の途中だったために下車はできなかった。しかし、「のみの市」はパリだけではない。地方都市でも、その周辺の小さな村でも、それは頻繁に開かれている。
ストラスブールは観光地でもあり、私のアパートの近くでも、ほとんど毎日、「のみの市」が開かれている。大半はがらくたであり、古くなったどうしょうもないものを並べているだけに見える。売る方も楽しんでいるだけに見えてしまうのだけど、これは偏見かも知れない。ゴッホの絵でも埋もれていないかとたまには覗いているのではあるが、それにはまだ成功していない(万が一、見つけたとしても、きっと秘密にするだろう)。それでも多少は気に入った品物を見つけたので、ア・ラ・カルトで紹介させていただきたい(à la cart: 最初のaついているのはアクサングラーヴ)。
パーセントという言葉は、日本でも普通に使われる。百分率のことであるが、おそらくフランス語が語源だと思う。このセント(cent)は百を意味する(フランス語では最後のtは発音しない)。よく似た語にサンチーム(centime)というのがあり、百分の1フランを意味していた。今では同じ語で百分の1ユーロを表しいると私は理解している。最初の写真はストラスブールから車で2時間くらい走ったところにあるヴォージュ山脈の麓の小さな街の「のみの市」で見つけた古銭。裏側には「フランス共和国」と明記され、1889年の文字がある。フランスがインドシナで発行した「百分之一」である。古典的な「帝国主義」の時代である。本物なら114年前の通貨であるが、これを得るのに1ユーロ支払った。
次のは同じ「のみの市」で手に入れたペタンクの球8個入りケース(pétanque: 最初のeについているのはアクサンテギュ)。この遊びの起源は南仏らしい。実際、南仏のニームでは、いい歳をした大人が夢中になってこれに興じているのを何度も目撃した。このような金属の球を交代で標的の小さな玉に近づけるのを競うのであるが、平均的な日本人にとっては少々退屈な遊びかもしれない。フランスの友人とペタンクをやっているときにドイツ人の集団が通りかかった。彼らはこの世のものとは信じられないというような眼差しで私達を眺めていた。
最後の写真は、少し昔の航海用器具である。左手の2つは、日本では「六分儀」と呼ばれているものだと思う。これらとは別に「経緯儀」も手にいれた。是非とも復活させて実際に使ってみたいと思っている。こっちの学生からは、「さすがに海事科学部の方ですね」と言われたのだが、使い方が説明出来ず、少々怪しまれている。
楽しみのためのマルシェ・オ・ピュスとは別に、「朝市」もまたフランスでの生活には重要である。週に二回くらい、街のあちこちの広場でその市は開かれる。郊外の大型店舗、スーパーマルシェもあるが、生産者と直に接することのできる、この「朝市」が私は好きである。新鮮な野菜や肉・ハム、魚、チーズ、そして衣料品や日常雑貨に至るまで、生活に必要なもののほとんどがここで手に入る。
子供の頃、荷台に魚と氷をどっさり積んだ車が、私の田舎の家の近くまで、週に2回くらいやってきていた。その親爺さんが、独特の言い回しで「おっさかなやでござーい」とスピーカーで叫ぶと、わらわらと近所のおばさん達が集まるのである。これに近いものがさらに大規模になった感じをうけた。別な例えをすれば、移動式の「大阪天神橋筋商店街」だと表現することもできるだろうか。とにかく活気がある。商品について質問すると、どこまでもどこまでも説明を繰り返してくれる。ウサギのハムやチーズのひとつ一つに対して、「朝市」のおじさんやおばさん達はそれぞれに思い入れを持っているのだった。
数ヶ月前、日本からの客人を案内した時のこと、「コンビニが無くて不便ね」と言われ、ハッと思った。コンビニは確かに便利である。そして、私もフランスでのこの短い滞在をはじめた当初にはそう思った。最近ではコンビニの倒産も身近に見かけるようになったが、寂れてしまったあちこちの商店街を思い出すと、1980年代くらいからの「流通革命」によって、私たち日本人が「失ったもの」も多いように思うようになった。本当の物質的豊かさとはどういうものなのだろうか?それは精神的な豊かさと切り離されたり、対比して語るべきものではないように感じている。
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ところで、フランス語には英語と違ってたくさんのアクセント記号がある。アクセントと言っても強く読むのではなく、それぞれに音が異なる。この辺りが敬遠される理由のひとつになりそうだけど、ある語学学校のフランス人教師からは、次のように言われた。「日本人も、“は”と“ば”、あるいは、“は”と“ぱ”とは、しっかり区別しているじゃないか」と。「なるほど」と納得した。
月影の大聖堂。月の下に見える鳥の彫像はコウノトリ。
この鳥はアルザス地方のシンボルであり、
「赤ちゃん」を運んでくることになっている。
(T. Y., Strasbourg, 16. Dec. 2003)