ヒッポドローム At Meydani
ヒッポドローム
テオドシウスの
オベリスク
基盤レリーフ
青銅製
ヘビのオベリスク

南側の
オベリスク

観光地イスタンブールの中心部に位置し、ブルー・モスクの西側に隣接する広場、スルタン・アフメット広場とも呼ばれ、長さ400〜430m、幅120mの古代競馬場跡である。

 ヒッポドロームの建設は、西暦203年、ローマ皇帝セプティミス・セヴェルスの時代に始まり、ビザンチン皇帝コンスタンチヌス大帝がここをローマ帝国第二の都と宣言した式典により、330年5月11日に完成。U字形のトラックの周囲には40列の席があり、収容人員は3万人とも4万人ともいわれ、4世紀にコンスタンチヌス1世によって整備、拡張された。貴族たちが戦車を競わせるだけでなく、将軍や皇帝が民衆から讃えられるのにも、政治的なプロパガンダにも、反逆者の処刑場としても利用された。

 広場の中央には3本の記念碑が建っている。
 最も北に建っているのはイスタンブールで最も古い記念碑テオドシウスのオベリスク。紀元前16世紀、エジプトのファラオ・トトメスV世がメソポタミアの勝利を記念して造らせたもので、エジプトに建てられたものをビザンチン皇帝のテオドシウスT世が390年にこの地に運んだ。この柱の年齢は3500才。エジプトのルクソール、カルナックのアモン神殿にあったこの柱をここに搬入させた。ピンク色の花崗岩製で、重さ約300トン、四面にはトトメスV世の偉業を称える象形文字が見られ、最高部では神アモンとファラオが手を握りあっている。基盤が水平でないために、389年に造られた大理石の基盤上に四本の青銅の柱で支えられるように据え付けられている。基盤にはロイヤルボックスでの皇帝一家、オベリスク建立、競技を前に踊る少女達、シャリオットレースなどのシーンが浮き彫りにされており、ブルーモスクとイブラヒム・パシャ宮殿側の面には、それぞれラテン文字と旧ギリシア文字が彫刻されている。本来の高さは32.5mあったが運搬に便利なようにと全体の40%程度の部分を下部から切り落としており、現在の高さは20m。

 中央にあるのは、3匹のヘビが絡み合ったデザインの青銅製ヘビのオベリスク。紀元前479年、ギリシア・デルフィのアポロン神殿に建てられたものを移送したといわれてる。ギリシアの都市同盟がペルシア軍に勝利を収めたプラタイアの戦いを記念した柱の本来の姿は、三匹の絡み付く蛇の頭部の上に、直径2mもの巨大な金の釜がのるものであった。しかし、イスタンブールに移動される前に既に釜はなくなり、オスマン期になって蛇の頭部は石で破壊された。この頭部のうちの一つは、今日、イスタンブール考古学博物館に、もう一つはロンドンの大英博物館に保管されている。もともと6.5mあった柱の高さは現在約5m。

 南側の高さ32mのオベリスクは、コンスタンチヌスZ世が祖父帝バシレウス I世を記念して造らせたもので、かつてはヒッポドロームの真ん中に建っていた。32mの高さがある10世紀のこの柱は、もともと銅と真鍮で表面を覆っていたが13世紀初期のラテン人の侵略の際に剥がされて貨幣鋳造に利用されてしまったという。1895年の地震でダメージを受けた柱には修復の手がいれられた。