教員のエッセイ
「受験勉強の頃(中):理系か文系か」
例の数学19点から自分を慰めるためには、私自身が文系に向いているということを主張するのが最も容易な方法であった。実際のところ、漢文や古文の授業は面白く、教科書や参考書ではなく、どこかの文庫になっているようなものについて読んで見ようと試みたりしていた。話が少し前後するかも知れないが、吉川幸次郎氏や高橋和己氏の書かれたものに傾注しかかっていたように思う(これは大学の頃だったか?)。とにかく、漢学に惹かれたのは確かであるが、点数の方はいまひとつだった。81点には達していなかったと思う(深い意味は無い、単なる引き算;100−19=81点)。
高2に進行する段階で、理系と文系とに分かれる。双方とも4クラスずつなのであるが、文系志望者が多く、学年に370人いた生徒の内、200名以上が文系を志望しているということであった。30点以下は35人しかいないはずなのに、どうしてこんなに文系が多いのか?などとずれたことを考えていたのはどうやら私一人で、大半は大学受験のこと、そしてその後の就職のことを考えていたようである。担任との面接では、文系希望を表明したが「理系から文系には行けるが、逆は難しい」と言われる。数とか物理とかが問題になるという、文系ではこれらの科目の独学は難しいと。担任の迫力に負けて説得されてしまったのであるが、果たして理系に進むことになった。文系のクラスは50人で教室は満杯、理系は40人となりかなり空間があったように思う。確かに居心地はよかったか。
私の担任だった先生は、後にこの高校の校長を務めるのであるが、彼が一番気にしていたのが教室のスペース問題であったのか、それとも私自身の進路問題であったのか、是非とも聞いてみたいと思いながらも実現しないままになっている。
ところで、文系と理系との境界はどこにあるのか。私の高校では教室毎にそれが違っており、廊下と階段とは共通であった。大学になるともう少しはっきりしており、文学部と理学部とは別の学部になっている。しかし、個々の研究になると話はそれほど単純でないものもあるように思う。
少しだけ具体的な例をあげてみよう。神戸大学の海事科学部にはタンデム加速器が設置されている。加速するイオンを発生させる部分が異なるので、この加速器自体では今のところ不可能であるが、同程度の加速性能を持つタンデム加速器を使うと、炭素C-14を精密に計測することが可能である。ところで、炭素C-14とは何か?我々の身体も含め、地球上にある炭素の大半はC-12とさらに少量のC-13とで出来ている。それぞれの炭素原子を構成している電子と中心の原子核にある陽子の数はともに6個であるが、中性子の数が異なっているのである。中性子と陽子とを足した数、すなわち、質量数が12だったり、13だったりするのである。そして、炭素C-14は宇宙から降り注ぐ宇宙線が大気を構成する窒素に影響を及ぼして生成する不安定な原子であり、ある一定の法則でその数は減少する(放射性同位体という)。植物も動物もこのような放射性同位体と安定な同位体とを区別せずに取り込む。生きている間にしか炭素は取り込まれないので、炭素C-14だけが減少することになる。したがって、その量からそれが取り込まれた最後の年代が評価できるのである。そして、加速器を使って計測すると、最も知りたい炭素C-12やC-13に対する炭素C-14の比率が最も正確に決定できるのである。このような加速器質量分析法は、既に縄文時代と弥生時代との境界問題に新しい結果をもたらしてきている。これは、物理学(理系)と考古学(文系)との関係についてのひとつの例である。
それぞれの分野にはそれぞれに固有の面白さや難しさがあるのは当然である。数学を毛嫌いすることも19点の私にはよく分かる。しかし、物理や化学を深く理解しようとすると数学が必要になるのは明らかである。理論物理学は、私自身は憧れながらも何も勉強できていない分野であるが、そこでの最近の研究は、新しい数学研究をもたらしているそうである。また、それらとよく似た方程式を経済学者が使っているという話を最近何処かで聞いた。
さて、理系か文系かという問題であるが、私の頃に比べても高校で学ぶ科目は減っている。ところが世の中は逆に難しくなっており、学ぶべきことは増えているのである。環境問題を考えるときに、よその国のことを知らないで、あるいは、化学や物理のことを知らないで、正しく考えることができるだろうか。多少話はずれるが、イラクで米軍がやっていることを理解するのに、米国からの報道だけを聞くような人にだけはなって欲しくない(当地フランスでの報道は、それとは全く異なる)。
既存の学問の枠内で解決するのが難しい問題が増えているのが現実である。理系に進む人には文系を、文系に進む人には理系を勉強してもらいたいと思う。
つづく
(T. Y., Strasbourg, 7. Dec. 2003)